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ベルウィック内乱[血の八年動乱]概説(2)

 セヴァール川の敗戦で二人の盟主を失った東部同盟は求心力を失い瓦解、 北方諸王国はモルディアスの軍門に下り、 王国内ではアーレス派に対する粛清の嵐が吹き荒れた。

 レイアの王城には第一王女アルテミア(先代ヴェリア王の嫡子アーレスの妻)とその子供たち( ベルナードの妹アナスタシア(13)、弟フレディ(10))が保護されていた。
 モルディアスは彼女たちを引き渡すならレイア王国の罪は不問にすると懐柔したが、第二王女にしてパラスレイアの使い手である魔法騎士のフェリアーヌは、ベルナードの釈放とアルテミア親子の安全が保障されない限り降伏はないと夫のベングリオン(ヴェリア神殿騎士団の名高いシャインナイト)・兄のアレクトー(レイアの新王)とともにレイア城に立てこもった。モルディアスの王国軍は数度に渡って城攻めを行うもその都度敗退。以後一年間にわたってフェリアーヌたちは配下の騎士・魔道士らと共にアーレスの妻子を守り続けるのである。

 話は少しそれるが、先を続けるためには王国と教団の関係を述べておかねばならない。 ヴェリア教団(*7)はこの内乱において中立の立場を堅持した。
 これは当時の巫女、シルファ・ブロンテの神性が婚姻によって衰え、 先王の死因がモルディアスが言うようにアーレス王子の手によるものか、 それともレイア王が言うように、それ自体がモルディアスらの陰謀なのか、 事の真相について神託が下されていないことにあった。
 しかし604年(7月)に一人娘のサナーキアが生まれると、シルファの神性は一時的に回復され、その神託によって、先王の殺害がラーズ教団の手によってなされたことが判明する。教団はその事実を双方に伝え、直ちに休戦するよう 巫女シルファの御教書を発布した。(604-8)

 内乱を利用してレイアを初めとする同盟諸国の力を削ぎ、政敵となりうるアーレスの勢力を排除しようと考えていたモルディアスはこの御教書に対して「教団が自分を新王として認め、巫女によって載冠がなされるならアーレス派と停戦して彼らの罪は問わない」と誓約した。だが第33代ヴェリア国王として即位すると、彼は再びアーレス派と目される諸侯らの粛清に取り掛かった。 これに激怒した巫女シルファはモルディアスに対して「弾圧を止めてベルナード以下の捕虜を解放せよ。誓いを破るなら破門も辞さない」と警告を発した。

 ヴェリアの王位はエルタナ法典によって、ヴェリアの子(つまりヴェリア教徒)であることが絶対条件とされる。巫女によって破門されることは、すなわち王位をもはく奪されることである。モルディアスは自ら神殿に出向いて慈悲を請い、巫女の命に従うことを誓約した。
 だが、その7日後、何者かが巫女の神殿に侵入し、産後で力が衰えていた 巫女シルファと傍付きのシスター数十名を殺害するという事件が起きる。 (604-9:26世巫女シルファ・ヴェリ・ブロンテ、享年27歳。)

 シルファの娘サナーキアは 巫女の神殿に仕える見習い騎士(神官騎士=トルヴァドール)であったパラミティース(16)によってかろうじて救い出され、シルファの夫である光輝騎士団長デニムッド(アラムグルズの一族)の下に届けられた。
 デニムッドはシャインナイトを従えて神殿に駆けつけるも、すでに現場は国王直属の兵士らによって閉鎖され、その翌日、モルディアス国王は同盟全土に向けて巫女の非業の死を伝えた。

「現場に残されたラーズ紋章の剣から、この凶行はラーズ帝国の手によって なされたことは明らかである。我らが光の女神と敬う巫女を害するものは 暗黒神を奉ずるラーズ以外になく、我らはこの悪行を看過し得ないであろう。
私はここに宣言する。ベルウィック神殿の扉は開かれた! 同盟諸侯は盟約に従い直ちに聖戦への準備をせよ! 半年以内に軍備を整えペシル王国サキリア砦に集結せよ!と。

 ヴェリア教団も王のこの決断を支持して配下の神殿騎士団に聖戦に従うよう命じた。 巫女シルフアはすでになく、その娘はまだ一歳にも満たない。ゆえにヴェリアの神託が下されるはずもなく、諸侯も聖職者も民衆も、全てのヴェリアの民がラーズ帝国の仕業だと信じ込んだ。
 しかしただ一人、巫女の傍近くに仕えていたパラミティースだけは真実を知っていた。彼女は犯行の直前にシルファから「王が私を殺しに来る。もはや阻止しえない。サナーキアを連れて脱出せよ」と命じられたのである。

 彼女はその事実をシルファの夫に告げた。デニムッドは教団にモルディアスの罪をただすよう求めたが、司教らは「年少の見習い騎士一人の言葉を信じて国王を糾弾するとはなんたる不遜」としてデニムッドを光輝騎士団隊長の任から解き身柄を拘束した。彼は後に脱出して反モルディアスの戦いに身を投じる。

[余談]
神殿地下牢からデニムッドを救ったのは彼の部下だったシャインナイトたち。その中には見習い騎士のパラミテイースもいました。ルボウは当時はまだ司祭でしたが脱出の手引きをしています。

後に詳しく述べますが、パラミティースはデニムッドが斃れるまでの約3年、彼の身辺近くにあって身の回りの世話などをしていました。彼女がシャインナイトとしての技能を身に着けたのもこの時です。幼いサフィアはルボウに預けられナルヴィア神殿で養育されました。

巫女がモルディアスを王にしたのは理屈的には正しい。正当な王位継承者のアーレスが次期国王にモルディアスを指名して自害したから(神託で証明された)。巫女の暗殺で正当性を失ったがモルディアスは認めていない(だから口封じのためにシャインナイトを粛清した)

巫女の神殿(この当時は王都の近くにあった)の警備は本来厳重だったが、ハイランドの神殿が先住民に襲われたというニセ情報でデニムッド以下の光輝騎士団(巫女の親衛隊)が出払っていたためその隙を突かれた。これもモルディアスの策略と思われる。彼の政治力はある意味天才的。

ヴェリアの内乱にラーズ帝国が介入しなかったのはクレイマン皇帝の意志による。彼とヴェリアの先王は共に優れた君主で、直接的な交流は無かったにせよ、二人が在位している間は一度も大きな戦争は起きていない。(ヴェリアの巫女シルファも平和を願っていた)
しかし狂信的なラーズの教皇ウルバヌヌスは皇帝の意志に反して密かに刺客を放ち、先王ハーメルを殺害した。
これにより、両国が再び戦争状態に入ることを望んだのである。だが東方国境に不安を持つクレイマンは内乱に関して一切の関与を許さず、605年にヴェリアから侵攻があるまで不介入を貫いた。
 
モルディアスがラーズに宣戦布告したのは、外敵を得ることで国内世論を統一し自らの立場を強固にするためであった。(故に内乱が収束するとクレイマンに和議を申し入れた)
この結果、孤立したレイア王国はラーズ軍によって蹂躙され(アナスタシアらは逃亡途中に捕らえられる)、ヴェリア国内ではシャインナイツが反逆者として粛清され、最後まで抵抗を続けたフェリアーヌもロズオークに諭され北方へ落ち延びるのである。


ゼフロスとラレンティア(広田氏)

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シノン公爵バーンストル

 セヴァール会戦においてレイア王カルマンはセヴァール川とセルジア台地に挟まれた天然の要害に本陣を構え、両脇に精鋭部隊を配置して鉄壁の守りを誇っていた。しかしこの地に本陣を置くことを予想していた聖騎士バーンストル(571-619)は、モルディアスの許可を得て配下の騎兵100騎余と共にセルジア山中に潜み両軍が河を挟んで対陣した翌早朝、崖を駆け下って奇襲をかけた。
 前日の疲れで眠り込んでいたレイアの兵士たちは 霧の中から突然現れた騎士団の姿に驚き大混乱に陥る。 バーンストルは自らも多くの手傷を負いながら、 レイア王の本陣に切り込みその首を討ち取った。
 彼はこの時の武勲により、公爵位を下賜され 王国の直轄地であった辺境領シノンを領して 新たな公国(606-621)を興すに至る。

 シノン地方は草原地帯で主に牧畜を生業とする複数の先住部族が存在する。 この地方が王国に服属したのは半世紀あまり前であるが、 この地に暮らす先住騎馬民族は、誇り高く、勇猛な人々であり、 過去にも数名の王国貴族が封建領主として赴任したが、 先住民の反乱により殺害された。

 力による支配は無理と見た先王は、王国の属州にして 隣国のセレニア公国にその管理を任せ、 セレニア公爵もまた諸部族の自治を認めるるという形での放置状態にあり、バーンストル公爵による建国・統治は、このような厳しい状況の中で行われたため王国内では誰もが、失敗して逃げ帰るものと噂していた。

 バーンストルは赴任するとすぐに族長たちを招集し、 自らの方針と彼らの要求をすべて書き出して文書にした。 可能なことはすべて受け入れ、合意した事項を基本法として これを破る者はたとえ部族長であろうと処分すると 法治国家としての体制を築いたのである。

 また先住部族の若者たちを、文官・武官として大量に採用。 公爵自ら僻地にいたる全土を視察して回り、 困窮する住民には食料や家畜を分け与えた。 (隣国セレニアのルーヴェト公爵は国を上げてバーンストルを支援した)

 こうした諸策により最初は反抗的であった草原の民たちも 新しい領主バーンストルを信頼し、 リースがナルヴィアに旅立つ頃(治世12年)には 小国ではあるが豊かで安定した国に生まれ変わっていた。
 ちなみにアデル・レオン・シロックらは 先住部族の若者たちで少年のころにバーンストルによって見出され 教育を受けた者たちである。

 バーンストルはヴェリア北方の小村を領する下級貴族(小領主=騎士)の三男として生まれた。(ヴェリア暦571年生)幼い時は思慮深く大人しい少年だったが剣技については生まれついての才能が有り、15歳で家を出たのちは各地を放浪して自由騎士(傭兵)として戦いの中に身を置き続けた。
 匪賊の襲撃に怯える辺境の街や村に好んで雇われ、他の傭兵なら一日で逃げ出すような危険で見返りの少ない仕事でも誠実に果たし、その誠実なる振る舞いとずば抜けた強さで人々を魅了して多くの知己を得た。

 辺境警備隊長だったウォードと最初に出会ったのも傭兵時代のことであり、リアナ国王と盟友になったのも(リアナ国の動乱時に王子だった現国王を助けた)戦死した親友(自由騎士)から息子(エルバート)を託されたのもこの時期である。

 彼の名声を聞きつけたヴェリア王ハーメル7世はバーンストルを王宮に呼びつけ国王直属の臣下となって近衛部隊を指揮せよと命じる。バーンストルは固辞するが王の強い求めで26歳にして王宮の近衛隊長(このころに妻を迎えた)、3年後の王国暦600年には王国聖騎士となり(同盟24国で行われる槍試合を三年連続で勝ち抜いた功績による。リースはこの年に誕生)王都の傍にわずかな領地を与えられて伯爵に叙せられる。(片腕となった騎士ウォードはこのころ部下になる。あることから罪を得て処刑されるところを救ったのが理由であるがその顛末については後述)

 しかし実質的な上官であるパドルフ内務卿(後に登場するパドルフの兄)とはそりが合わず、ある日、王宮内で若い侍女をいたぶるパドルフを制止しようとして勢いあまり殴打してしまう。ひ弱なパドルフは重篤に陥り、死罪もやむなしという状況になるが、それまでは特に親しいわけでもなかったモルディアス王子が助命に動き領地での謹慎で許された。こういった経緯により、図らずもモルディアスに近い立場となるのだが、内乱後期にはパラミティースら反乱派の逃亡を助けたり流刑中のベルナードを密かに援助したりと、 心情的にはモルディアス派を快く思っていなかったようだ。

 ラーズの侵攻時には病を患い出征しておらず、 後にベルナードの腹心となって西部戦線を支えたが、ヴェリア暦の619年、竜騎士ゼフロスとの一騎打ちで戦死した。享年48。


竜騎士ゼフロス[森田氏の原画から]

ゼフロス2

ベルウィック内乱[血の八年動乱]概説(1)

 レイア王国は他の公国がヴェリアの封建下にあるのに対して完全な独立国でその基礎となった部族国家はヴェリア王国よりも古い歴史を持つ。ラーズの圧政に対して蜂起した民集が巫女の一族(レイア)によって救われたことからヴェリア教に帰依したが、自ら北東三国(レイア・ペシル・イシス)の盟主の位置にありさらに周辺の独立小王国等にとっても ヴェリア王国以上に信頼関係が厚い。
 
 また、この地域は古来より、ラーズ・ヴェリアの両大国にとっての 軍事的要衝であると同時に緩衝地帯であったわけで、 直接交流を持たない両帝国に代わり、通商(物流)や人の往来で 経済的には恵まれていたという側面を持つ。

 時の国王カルマンはなかなかの野心家で 長女アルテミアをヴェリア王家の嫡子アーレスに嫁がせ 王家の外戚となることでベルウィック同盟の支配を目論んでいた。 アーレス王子が学究肌で政治的関心が薄く、 また気弱な性格であったことがカルマン王の野心を増徴させたと言える。

 しかしそのことに危惧を抱いたヴェリア王国内の封建貴族(7公国の侯爵)らは 嫡子アーレスよりも次子モルディアスを次の王とするよう時の国王ハーメル七世に懇願した。 彼らにとってはヴェリア王家が第一であり、アーレスがレイア王の傀儡となって 国政を壟断されることは恐れたのである。(レイア王国はその位置的な理由からラーズ帝国とも関係が深く、狡猾なカルマン王ならヴェリアを売り渡すこともありえるのではないかと危惧していた)

 アルテミア王女はわずか11歳にして15歳のアーレスに嫁いできた。政略結婚でありむろん人質としての側面もある。だがアーレスはこの幼い妻を深く愛し、彼女以外の女性には目もくれなかった。
彼女は17歳で長男ベルナードを出産。19歳で長女アナスタシア、22歳で次男フレディと子宝にも恵まれ二人は王都バレムタインで幸せな日々を送っていた。レイア王や公爵たちの確執には心を痛めながらも賢王の誉れ高いヴェリア王は確固として王宮にありその治世はゆるぎないものと思われていた

 だが事件は起きた。王国歴600年、第32代ヴェリア王は突然の死を迎える。 64歳と言う高齢でもあり、直後は病死と思われたが、そば近く仕えていた老侍従が遺書を残し自殺。残された遺書に「アーレス王子に強要されて王に毒を盛った」と記されていたことから王宮は騒然となった。

 モルディアス王子の命を受けた内務卿パドルフ(兄)は直ちにアーレスを拘束、諸侯列席の上で裁判を行うとの触れが出された。アーレスの妻子らも自邸において軟禁状態に置かれたが、これにはナルヴィア公爵を初めとする諸侯らが反対し、事の真相が判明するまで、実家であるレイア王家で保護されることとなった。
 しかし幸せだった一家はこの日を境に絶望の淵に突き落とされる。この時のアーレス33歳、アルテミア29歳。そして三人の子供たち‥。ベルナード12歳、アナスタシア10歳、フレディ7歳という幼さであった。

 諸侯会議に出席したカルマン王は声を震わせて怒りを露わにした。 「これは王国内に巣食う腹黒き封建諸侯らの陰謀である。 かねてよりことあるたびに我ら新参の同盟国を敵視し、 讒言の数々を国王陛下に上申してそれが聞き届けられないと知るや、 畏れ多くも陛下を殺害しさらにはその罪を嫡子たるアーレス殿下になすりつけんとする、 パドルフ伯らモルディアス王子派諸侯らの悪辣な陰謀である!」と。

 先王にはアーレス王子の他にも、もう一人正妻の子供がいた。それがモルディアス王子である。彼はアーレスよりも2歳年下だが兄とは正反対の性格で、文武に優れ勇猛果敢と評判である一方、狡猾・暴虐との批判もあった。
 しかしこの戦乱の時代において、諸侯らが柔和なアーレスよりも 武人として数々の実績を持つモルディアスを支持するのは当然で、 また彼の妻が王国内の名門、ユトリア公家の出身であることも 7公爵が支持する要因となっていた。

 その数日後、連日の討議で疲労困ぱいの諸侯らに驚くべき知らせが舞い込んだ。 王経内の一室に軟禁されていたアーレス王子が自らの罪を認めて自害したというのである。残された遺書には

「私的な理由により父上を害し奉った。 次期国王には弟モルディアスを指名する。 諸侯らには弟を補佐して国の行方に誤りなきよう望む。 モルディアスよ、どうか妻と子らを頼む。 相容れぬ兄弟であったが私はおまえを信頼している。 わが王国に永久の繁栄があらんことを」

と記され王子の胸には室内装飾の宝剣が突き刺っていた。レイア王を初めとするアーレス派諸侯(王国東部の小領主とモルディアスを嫌う同盟10王国の王ら)は「遺書はねつ造、王子はモルディアス派によって処刑されたのだ」と怒りたち、次期国王はアーレスの嫡子ベルナードが当然であると主張した。しかしモルディアスを支持する諸侯は「罪人の子に継承権はない」と 取り合わず、諸侯会議は決裂。ベルウィック同盟諸国は この日を境に内乱の道へとつき進む。

 モルディアスの王位継承に反対する王国貴族たちは、東北3王国、北部7王国と連携を強め、レイア王国に保護されたアーレスの嫡子ベルナードを正当な国王として政権を打ち立てた。彼らはヴェリア王国を自称したが歴史的には東部同盟と称される。総兵力は10万余。
 これに対してモルディアス派は、王国軍5万に7公国5万の軍勢を合わせて 同じく10万の兵力を動員。彼らもまたヴェリア王国軍と呼称した。 両者はこの後、王国東部で小競り合いを続けることになる。

 
 ヴェリアの内戦が始まって3年後。王国の北東を流れるセヴァールの大河で ベルナード王子を擁する東部同盟軍(*2)とモルディアス王子率いる ヴェリア王国軍(*3)が会戦し双方合わせて万余の死者を出す。(セヴァール会戦)

 この戦いで東部同盟軍の実質的な指導者であったレイア国王カルマンが戦死。 東部同盟軍は敗北したが消耗した王国軍もそれ以上の追撃はできず戦いはこう着状態に陥った。カルマン国王の戦死で東部同盟の結束が揺らいだと見たモルディアスは、 東部同盟の盟主、ベルナード王子(588-)に休戦を求める書簡を送った。 内戦の悲惨さを訴え、話し合いによる事態の解決を求めるというのだ。

 祖父に言われるままに反モルディアス派の盟主になったベルナードだったが、この三年間の戦いで国土は荒廃し、人心は乱れ、罪なき人々が苦しむ様を見て、祖父であるレイア王に疑念を持ち始めていた。これは本当に正義の戦いなのかと思い悩んでいた矢先の申し入れであり、躊躇することなく会談の場に赴いた

 しかし休戦交渉はモルディアスの奸計であった。 交渉団は席に着く間もなく捕縛され、 二年余り王宮で軟禁状態に置かれたのち、反逆者として辺境領ミネヴァへ送られた。 ベルナード王子は以後12年間、辺境での流刑者として過酷な日々を送ることになる。

(補足)
ベルナードは捕えられたのち、2年半ほど王宮で軟禁されています(その後に辺境流刑)。この間は比較的恵まれた環境でシェンナと親しくなったのもこの時です。理由はいくつかありますが、内乱の終結を望む巫女の存在と(これは後に語ります)、モルディアスの妻がベルナードに同情的(彼女は敬虔なヴェリア教徒)だったことが主な理由です。ベルナードは15歳で捕らわれ17歳で流刑となりました。流刑の時、シェンナは8歳程。ウォルケンスは18歳でした。
ベルナードとシェンナは許婚ですがこれは先王ハーメルが定めたものでシェンナが誕生すると同時に決められました。兄弟の融和を図るための知恵でしたがシェンナがその事を意識したのはこの頃(軟禁中)です。父モルディアスは無論そんな気はありません。この後、二人が再会するのは15年後になります。

細かい文字ばかりで疲れたと思います。目の保養にオマケです(笑)
[森田氏作画の生足エニードです。白背景は眩しいのでちょっと加工しましたが素人なのがミエミエですね^^]


エニード神殿


ベルウィック同盟24カ国とは

ベルウィック同盟24カ国(勢力)の構成国は以下の通りです。

(1)ヴェリア13国(ヴェリア王国とそれに従属する7大公国と新興の5小公国の計13国で構成される封建国家)

(2)ヴェリア教団(国ではないがナルヴィア西方に自治領を有し、神官団と直属騎士団を擁する。ただし騎士団の精鋭部隊、シャインナイトはモルディアス王の粛清により現在は存在しない)

(3)北東3王国(レイア、イシス、ペシルはヴェリアとラーズの中間に位置する古い王国。長らくラーズの支配下にあったがヴェリア教の浸透で現在は西側同盟に参加)

(4)北部7王国(北部の未開地域に分立する7つの王国。部族国家が発達したもので歴史は深いがいずれも小国。周辺にはいまだ未開部族も多い。(アイギナのリアナ王国もこのうちの一つですね)

[関係図]
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ベルウィック同盟も本来は11王国(と教団)の対等な同盟ってことになります。ヴェリア王国が参加している以上、その配下の公国がヴェリアに従うのは当たり前のことで、それに従わない公爵がいれば反逆者として処刑されることになります。その辺りがレイアやリアナなどの立場と異なるところです。

ラズベリア帝国の歴史

 ラズベリア帝国は紀元前13世紀頃に、他の大陸から渡ってきた異民族が先住民族を支配して興した国で、 現在のベール海南部から古代の森周辺(モーラ地方)に植民都市を 建設したのが始まりとされています。

 当時、この地方に暮らす人々は未開の状態にあり、 小さな部族国家に分かれて争っていました。 そうした中に突如として高度な文明と武器・魔法を 持つ民が現れたのですからひとたまりもありません
 異民族は数百という少数でしたがわずか百年あまりで南方部族はすべて滅ぼされ帝国に組み入れられました。 わずかな神官貴族が大多数の奴隷民を支配する「ラズベリア帝国」の誕生です。

 この帝国は一千年にわたり繁栄を続けましたが紀元前三世紀に起きた大地震で帝都(現在のベール海南部にあった)が海没したことにより衰退・滅亡しました。 陸続きだったナルヴィアとモーラ(ナルヴィア対岸)が 海峡によって分かたれたのもこの時です。元々は湖であったベール海はこの時内海となり、 大陸はモーラ海峡の激しい潮流によって東西に隔てられました。 支配階級であるラズベリア人はそのほとんどが帝都に暮らしていたため(法律で先住民との混血を禁じていた)、 地方に暮らす少数の者を除いてこのとき絶滅しました。支配層を失った帝国は無秩序な状態に陥ります。 この後2世紀の間、帝国は激しい内乱と奴隷反乱、さらには 周辺蛮族の侵入が続き社会は混乱、文明は失われてゆきました。 「ラズベリアの失われた時代」と言われています。

 大災害から二百年余り後、 枯れた落ち葉を拾うようにして、東方の一部族長が権力を掌握しました。 彼は高度な知識と魔法力を持つ一人のラズベリア神官と手を組み、 勇猛な部下たちを率いて旧帝国領土の大半を制圧しました。そして、旧帝国の制度や宗教を継承し、天空神(戦神)ラーズを 唯一神とする新たな専制国家を創設したのです。 ラーズ王朝は、これを帝国暦元年として 以来600余年、安定した繁栄を続けます。

 これとは別に、帝国北西部に住む奴隷農民たちの中に、 ヴェリアという女神(大地母神)を崇拝する人々がいました。 元々ヴェリアは多神教のラズベリア帝国にあって至高神ラーズの姉であり、妹であり、妻であり、娘であり 実りの神、守護の神、慈愛の神、安産の神として崇拝される 偉大な神でしたが、苦難に喘ぐ農奴たちには 特に強く信仰されていたようです。彼らは大震災後の混乱した状況の中で ヴェリアの教えに基づく自治国家を創設しました。 帝都から追放された神官たち(彼らは農奴制に反対していた)が その中心的な存在でした。 この「自由ヴェリア共和国」は、周辺地の逃亡奴隷を吸収し 一時期100万を超える勢力に成長します。しかし東に興った蛮族の王朝は彼らの存在を認めようとせず、 およそ50年にわたって両者は激しい戦いを繰り広げます。 戦いはさらなる憎悪を呼び、殺戮を繰り返している間に 両者の感情は修復不可能なまでに悪化します。抗争は果てしなく繰り広げられましたが、 東方蛮族の力と数の前に、共和国は徐々に後退し、 やがて凄惨な宗教弾圧が行われるようになります。

 そういった状況の中で一人のヴェリア神官が現れます。アラムグルズという名の純血のラズベリア人ですでに30年以上を奴隷解放と救済のために尽くしてきた人物です。彼はラーズ王国との共存を訴えていたのですが、 この頃にはヴェリアを唯一神と信じる民衆を抑えきれず 少数派として疎外されていました。 しかし蛮族らによる虐殺を目の当たりにして 、アラムグルズはついに意を決し、民衆たちに西方への移民を呼びかけたのです。

 帝国暦の22年。アラムグルズに従う十万余の民が 西に向けて旅に出ます。 ベール海に沿ってサキリア砂漠を北上し、 ペシル山岳民の襲撃から身を守りながら ベール海の北辺に達して西に進み、 いくつもの山脈を踏破して 翌年にセヴァールの大河に到達しました。
大河の西は彼らにとって未知の土地でしたが、 そこは思いもよらぬ別天地でした。 見渡すばかりの草原に針葉樹の森 二つの大きな湖とそれを結ぶ幾筋もの河があり、 土地は豊饒で石材や鉄などの鉱物資源も豊富にありました。彼らはこの土地を「エルタナ(麦と乳と蜜が溢れる神話上の国)」と呼び 新たな共和国を創設したのです。
 都市の建設を見届けたアラムグルズは 数巻の著書と孫娘を遺して世を去ります。 人々は彼の死を嘆き建国の父として長く記憶に留めました。

 弟子たちは、残された著書を元に「ヴェリア教団」を設立し その教えを永久に教え伝えることを墓前に誓います。 残された孫娘が、初代の「ヴェリアの巫女」となり、 その血脈ははるか後年のサナーキアまで続くのです。今日用いられる「ヴェリア暦(王国暦と言う場合もあるが厳密には間違い)」は、 アラムグルズが息を引き取った日をその始まりとしており、 Rac(帝国暦)27.11.14がヴェリア暦のVac1.1.1にあたります。

 アラムグルズが斃れたのち、エルタナ共和国に危機が訪れます。この地方の人口は希薄ですが、まったくゼロではありません。周辺に暮らす先住部族との接触はすぐに始まりました。多くは温和な人々で、交易なども進んで求め、平和的に共存できましたが中には武器を以て襲撃し略奪する部族もありました。エルタナが繁栄すればするほど、その脅威は増してゆき、 特にVacの50年前後は国家存亡のときでした。 エルタナの膨張に危機を感じた周辺部族が連合して首都を包囲し、 城壁を挟んで3年もの間、激しい戦いが繰り返されたのです。貴族(寡頭)共和制であったエルタナはこの危機に 迅速に対応できず、城壁の崩壊寸前となっても 議員らは不毛の議論を続けるばかり。 この状況を憂いた一世巫女ヴァレンティアは 民会(非常時に召集される平民たちの議会)の要請を受けて 貴族議会を解散。アーレス将軍に全権を委ねます。アーレスの一族は(征西)の初期からアラムグルズの右腕として 軍事を司ってきた名門貴族で知勇に優れた人格者として 民衆からも絶大な支持を得ていました。 国民はアーレスの下に一致団結して戦います。 一年を経ずして近隣の蛮族はすべて討伐され、 エルタナ共和国の危機は取り除かれました。

 民会は王政への移行を決議し、 初代国王をアーレスとすること、 王位の継承は巫女の同意が必要であること、 国名をヴェリア王国とすること、 の三点を巫女に求めました。この後、多少の紆余曲折はありますが、 ヴェリア暦62年、アーレス一世国王を専制君主とする ヴェリア王国が誕生したのです。 王都はエルタナ(現在のバレムタイン)、その国土は 現在の王国領の2割にも満たない弱小国家でした。そして、それから半世紀後に、領土拡張を続けるラーズ帝国と レイア地方の帰属をめぐって争いが起こり、 現在にいたる500年間、戦いは続いているのです。

BSラズベリア経路



(補足)
魔法を使う力はラズベリア人固有のもので血が濃いほど高度な聖玉を使えます。建国時にはアラムグルズを含めて数百名の純血ラズベリア人がいましたが現在まで保たれているのはごく少数です。また巫女家に男性が生まれても一切の資格はありません。これはアラムグルズが定めたものでかつての帝国が再興するのを恐れたからです。通常は一神官として生を終えます。

初代の巫女ヴァレンティアは70歳まで「巫女」でした。二代は孫娘のセレンティアでサナーキアは27代目です。誰を後継者にするかは巫女が一族の中から選びます。(巫女生存時)

ラズベリア人の祖先は祖国を逃れたゾーア人の一派です。ガーゼル教国の滅亡により報復を恐れた人々が未知の海へと旅立ちモーラに漂着しました。必ずしも悪人ばかりという訳ではありません。これは過去の公開資料にもありましたね。
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