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ベルウィック内乱[血の八年動乱]概説(1)

 レイア王国は他の公国がヴェリアの封建下にあるのに対して完全な独立国でその基礎となった部族国家はヴェリア王国よりも古い歴史を持つ。ラーズの圧政に対して蜂起した民集が巫女の一族(レイア)によって救われたことからヴェリア教に帰依したが、自ら北東三国(レイア・ペシル・イシス)の盟主の位置にありさらに周辺の独立小王国等にとっても ヴェリア王国以上に信頼関係が厚い。
 
 また、この地域は古来より、ラーズ・ヴェリアの両大国にとっての 軍事的要衝であると同時に緩衝地帯であったわけで、 直接交流を持たない両帝国に代わり、通商(物流)や人の往来で 経済的には恵まれていたという側面を持つ。

 時の国王カルマンはなかなかの野心家で 長女アルテミアをヴェリア王家の嫡子アーレスに嫁がせ 王家の外戚となることでベルウィック同盟の支配を目論んでいた。 アーレス王子が学究肌で政治的関心が薄く、 また気弱な性格であったことがカルマン王の野心を増徴させたと言える。

 しかしそのことに危惧を抱いたヴェリア王国内の封建貴族(7公国の侯爵)らは 嫡子アーレスよりも次子モルディアスを次の王とするよう時の国王ハーメル七世に懇願した。 彼らにとってはヴェリア王家が第一であり、アーレスがレイア王の傀儡となって 国政を壟断されることは恐れたのである。(レイア王国はその位置的な理由からラーズ帝国とも関係が深く、狡猾なカルマン王ならヴェリアを売り渡すこともありえるのではないかと危惧していた)

 アルテミア王女はわずか11歳にして15歳のアーレスに嫁いできた。政略結婚でありむろん人質としての側面もある。だがアーレスはこの幼い妻を深く愛し、彼女以外の女性には目もくれなかった。
彼女は17歳で長男ベルナードを出産。19歳で長女アナスタシア、22歳で次男フレディと子宝にも恵まれ二人は王都バレムタインで幸せな日々を送っていた。レイア王や公爵たちの確執には心を痛めながらも賢王の誉れ高いヴェリア王は確固として王宮にありその治世はゆるぎないものと思われていた

 だが事件は起きた。王国歴600年、第32代ヴェリア王は突然の死を迎える。 64歳と言う高齢でもあり、直後は病死と思われたが、そば近く仕えていた老侍従が遺書を残し自殺。残された遺書に「アーレス王子に強要されて王に毒を盛った」と記されていたことから王宮は騒然となった。

 モルディアス王子の命を受けた内務卿パドルフ(兄)は直ちにアーレスを拘束、諸侯列席の上で裁判を行うとの触れが出された。アーレスの妻子らも自邸において軟禁状態に置かれたが、これにはナルヴィア公爵を初めとする諸侯らが反対し、事の真相が判明するまで、実家であるレイア王家で保護されることとなった。
 しかし幸せだった一家はこの日を境に絶望の淵に突き落とされる。この時のアーレス33歳、アルテミア29歳。そして三人の子供たち‥。ベルナード12歳、アナスタシア10歳、フレディ7歳という幼さであった。

 諸侯会議に出席したカルマン王は声を震わせて怒りを露わにした。 「これは王国内に巣食う腹黒き封建諸侯らの陰謀である。 かねてよりことあるたびに我ら新参の同盟国を敵視し、 讒言の数々を国王陛下に上申してそれが聞き届けられないと知るや、 畏れ多くも陛下を殺害しさらにはその罪を嫡子たるアーレス殿下になすりつけんとする、 パドルフ伯らモルディアス王子派諸侯らの悪辣な陰謀である!」と。

 先王にはアーレス王子の他にも、もう一人正妻の子供がいた。それがモルディアス王子である。彼はアーレスよりも2歳年下だが兄とは正反対の性格で、文武に優れ勇猛果敢と評判である一方、狡猾・暴虐との批判もあった。
 しかしこの戦乱の時代において、諸侯らが柔和なアーレスよりも 武人として数々の実績を持つモルディアスを支持するのは当然で、 また彼の妻が王国内の名門、ユトリア公家の出身であることも 7公爵が支持する要因となっていた。

 その数日後、連日の討議で疲労困ぱいの諸侯らに驚くべき知らせが舞い込んだ。 王経内の一室に軟禁されていたアーレス王子が自らの罪を認めて自害したというのである。残された遺書には

「私的な理由により父上を害し奉った。 次期国王には弟モルディアスを指名する。 諸侯らには弟を補佐して国の行方に誤りなきよう望む。 モルディアスよ、どうか妻と子らを頼む。 相容れぬ兄弟であったが私はおまえを信頼している。 わが王国に永久の繁栄があらんことを」

と記され王子の胸には室内装飾の宝剣が突き刺っていた。レイア王を初めとするアーレス派諸侯(王国東部の小領主とモルディアスを嫌う同盟10王国の王ら)は「遺書はねつ造、王子はモルディアス派によって処刑されたのだ」と怒りたち、次期国王はアーレスの嫡子ベルナードが当然であると主張した。しかしモルディアスを支持する諸侯は「罪人の子に継承権はない」と 取り合わず、諸侯会議は決裂。ベルウィック同盟諸国は この日を境に内乱の道へとつき進む。

 モルディアスの王位継承に反対する王国貴族たちは、東北3王国、北部7王国と連携を強め、レイア王国に保護されたアーレスの嫡子ベルナードを正当な国王として政権を打ち立てた。彼らはヴェリア王国を自称したが歴史的には東部同盟と称される。総兵力は10万余。
 これに対してモルディアス派は、王国軍5万に7公国5万の軍勢を合わせて 同じく10万の兵力を動員。彼らもまたヴェリア王国軍と呼称した。 両者はこの後、王国東部で小競り合いを続けることになる。

 
 ヴェリアの内戦が始まって3年後。王国の北東を流れるセヴァールの大河で ベルナード王子を擁する東部同盟軍(*2)とモルディアス王子率いる ヴェリア王国軍(*3)が会戦し双方合わせて万余の死者を出す。(セヴァール会戦)

 この戦いで東部同盟軍の実質的な指導者であったレイア国王カルマンが戦死。 東部同盟軍は敗北したが消耗した王国軍もそれ以上の追撃はできず戦いはこう着状態に陥った。カルマン国王の戦死で東部同盟の結束が揺らいだと見たモルディアスは、 東部同盟の盟主、ベルナード王子(588-)に休戦を求める書簡を送った。 内戦の悲惨さを訴え、話し合いによる事態の解決を求めるというのだ。

 祖父に言われるままに反モルディアス派の盟主になったベルナードだったが、この三年間の戦いで国土は荒廃し、人心は乱れ、罪なき人々が苦しむ様を見て、祖父であるレイア王に疑念を持ち始めていた。これは本当に正義の戦いなのかと思い悩んでいた矢先の申し入れであり、躊躇することなく会談の場に赴いた

 しかし休戦交渉はモルディアスの奸計であった。 交渉団は席に着く間もなく捕縛され、 二年余り王宮で軟禁状態に置かれたのち、反逆者として辺境領ミネヴァへ送られた。 ベルナード王子は以後12年間、辺境での流刑者として過酷な日々を送ることになる。

(補足)
ベルナードは捕えられたのち、2年半ほど王宮で軟禁されています(その後に辺境流刑)。この間は比較的恵まれた環境でシェンナと親しくなったのもこの時です。理由はいくつかありますが、内乱の終結を望む巫女の存在と(これは後に語ります)、モルディアスの妻がベルナードに同情的(彼女は敬虔なヴェリア教徒)だったことが主な理由です。ベルナードは15歳で捕らわれ17歳で流刑となりました。流刑の時、シェンナは8歳程。ウォルケンスは18歳でした。
ベルナードとシェンナは許婚ですがこれは先王ハーメルが定めたものでシェンナが誕生すると同時に決められました。兄弟の融和を図るための知恵でしたがシェンナがその事を意識したのはこの頃(軟禁中)です。父モルディアスは無論そんな気はありません。この後、二人が再会するのは15年後になります。

細かい文字ばかりで疲れたと思います。目の保養にオマケです(笑)
[森田氏作画の生足エニードです。白背景は眩しいのでちょっと加工しましたが素人なのがミエミエですね^^]


エニード神殿


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